押さえ込まれる業界
1977年ごろから、マスコミは一斉に消費者金融業界に批判を浴びせ始めました。当時の新聞の見出しには、無差別貸付や高利に無策の役所、銀行並の好決算といった文字が並び、消費者金融は悪だというムードが漂いました。
高金利や過剰貸付、強引な取立てなどで被害なった人を毎日のように取り上げ、消費者金融のために被害になった人が、世間で同情を誘いました。
そんな連日のマスコミ報道に、一般市民も徐々に消費者金融業界を悪だと決め付けるようになったのです。
そんな世論を受けて、貸金業規制法や改正出資法が成立していくわけですが、それは序曲でしかなかったのです。
消費者金融業界としては、悪質な業者を業界内から追い出し、業界全体の健全化を推し進める上で、貸金業規制法の施行には期待を寄せる部分もあったのですが、消費者金融業界への規制はそれだけには終わりません。
なんと、大蔵省銀行局長が、消費者金融業者への融資を抑制していくよう、各銀行に通達を出したのです。これは、消費者金融業界にはお金を回すなということで、国が1つの業界を潰さんとしたのです。
資金を絶たれた消費者金融業界では、この後多くの業者が廃業に追い込まれます。資金力のある大手も倒産こそ逃れますが、これまでのような拡大路線は維持できず、リストラや事業の縮小を余儀なくされました。
その後、消費者金融業界は、合理化経営への道をたどることになり、コンピュータ化や自動契約機の開発へと進んでいったのです。